本作は、主演のキアヌ・リーブスがプロデュースも兼任したSFサスペンスです。「愛する者を失ったとき、人はどこまで踏み外せるのか」という、科学と倫理の境界線を真っ向から描いています。
1. イントロダクション:禁忌を犯す男の「静かな狂気」
物語の主人公、ウィリアム・フォスター(キアヌ・リーブス)は、プエルトリコにある巨大企業「バイオナイン社」に勤める天才的な神経科学者です。彼の研究テーマは「人間の意識をデータ化し、ロボットの体に転送する」という、デジタル・イモータリティ(不老不死)の実現でした。
しかし、実験は失敗の連続。意識を転送されたロボットは、自分の体が機械であることに拒絶反応を示し、狂乱の末に自壊してしまいます。
そんなある大雨の日、悲劇が起きます。ウィリアムが運転する車が事故を起こし、同乗していた最愛の妻モナと3人の子供たちが全員即死してしまうのです。自分一人が生き残ったという絶望の中で、ウィリアムは科学者として、そして父親として、決して許されない「禁断の選択」をします。
「死んだ家族のクローンを作り、その体に生前の記憶を移し替える」
それは、自然の摂理だけでなく、法律も人道もすべてを敵に回す暴挙の始まりでした。
2. 物語の核心:あまりに非情な「選択」
ウィリアムは、クローン技術のスペシャリストである同僚のエドを強引に巻き込み、家族の遺体から意識のデータを抽出します。自宅のガレージに盗み出した装置を設置し、家族を甦らせるための「17日間」のカウントダウンが始まります。
しかし、ここで残酷な物理的限界が立ちはだかります。
クローンを作成するポッドが、3つしかないのです。
家族は妻と子供3人の計4人。ウィリアムは、生き返らせる3人と、永遠に葬る1人を選ばなければなりませんでした。
苦悶の末、彼は一番幼い末娘ゾーイを「救わない」決断をします。さらに恐ろしいのはその後です。ウィリアムは、生き返った他の3人が「ゾーイを失った悲しみ」で発狂しないよう、彼らの記憶データからゾーイに関するすべての痕跡を消去してしまいます。
家に残されたゾーイの服、写真、描いた絵。それらを泣きながら処分し、末娘を「最初からいなかった存在」にするシーンは、ウィリアムの深い悲しみと、目的のためには手段を選ばない冷徹な狂気が同居する、本作屈指の衝撃的な場面です。
3. 中盤の緊張感:偽りの日常と迫りくる真実
17日後、クローンの体が完成し、家族は「目覚め」ます。
彼らは事故のこと、自分が一度死んだこと、そしてゾーイという家族がいたことをすべて忘れています。ウィリアムは、あたかも何もなかったかのように、幸せな「家族の続き」を演じ始めます。
しかし、綻びはすぐに出始めます。
妻モナが感じる、原因不明の違和感と悪夢。
娘が口にする、思い出せない「誰か」の名前。
家族の欠勤・欠席を怪しむ近隣住民や職場の人間の目。
ウィリアムは嘘を重ね、さらに家族の記憶を都度「修正」することで、無理やり日常を維持しようとします。ここでのキアヌ・リーブスの演技は、愛情ゆえに家族を管理・統制する「狂った創造主」としての凄みがあり、観る者に強烈な違和感を与えます。
4. クライマックス:バイオナイン社の陰謀と大逆転
物語の後半、ウィリアムの暴挙はついに勤務先のバイオナイン社に露見します。
実は、会社の真の目的は医療ではなく、軍事利用でした。「死なない兵士」を作るために、ウィリアムが偶然成功させた「生体への意識転送技術」を奪おうと、ボスのジョーンズが私兵を率いて襲いかかります。
追い詰められたウィリアムは、自分自身さえも「レプリカ(複製)」にすることを決意します。
彼は自らの意識を、かつて失敗続きだった戦闘用ロボット(被検体345号)へと転送します。生身の人間(ウィリアム)と、鋼鉄の体を持つ「もう一人のウィリアム」。この二人が協力して、家族を救い出すために軍事組織に反撃を開始する展開は、これまでのサスペンス調から一転してSFアクションの熱量を帯びていきます。
5. 驚愕の結末:幸福の形か、ディストピアの始まりか
激しい死闘の末、ウィリアムはジョーンズと「取引」をします。
「技術はやる。その代わり、私の家族に二度と手を出すな」
17日後、バカンスを楽しむ家族の姿がありました。
そこには、一度は消去されたはずの末娘ゾーイも、クローンとして復活しています。ウィリアムは家族全員を取り戻し、誰もが笑顔で砂浜を歩く……という、一見すると完璧なハッピーエンドを迎えます。
しかし、ラストシーンで描かれるのはもう一つの「ビジネス」の姿です。
生き延びたジョーンズ(彼もまた、クローンに意識を移したレプリカ)と、ドバイで大富豪を相手に「不老不死の体」を売りさばく、ロボット姿のウィリアム。
死を克服し、失ったものすべてを技術で取り戻した。しかし、そこにいる家族は果たして「本物」なのか? 彼らが享受している幸福は、プログラムされた虚像ではないのか? 映画は、観客に倫理的な問いを突きつけたまま、幕を閉じます。
6. 作品の評価と魅力:キアヌ・リーブスの実人生とのリンク
本作は公開当時、批評家からは「設定が強引」「倫理観が崩壊している」といった厳しい意見もありました。しかし、一部のファンからは「キアヌ・リーブスにしか撮れない映画」として熱烈な支持を受けています。
キアヌ自身、過去に子供の死産や恋人の事故死という壮絶な悲劇を経験しています。そんな彼が、「事故で亡くした家族を無理やり生き返らせる男」を演じることには、フィクションを超えた重みがあります。
見どころのまとめ:
1. 究極の選択: 「家族4人のうち、誰を切り捨てるか」という残酷なシチュエーション。
2. 記憶の改ざん: 愛する者の記憶を消し、理想の家族に書き換えることへの恐怖と悲哀。
3. SF的カタルシス: 失敗作だったロボットが、最後に最強の味方となる「二人の自分」の共闘。
7. 総評:愛が狂気に変わる瞬間
『レプリカズ』は、決して洗練された美しいSFではありません。むしろ、人間臭く、独りよがりで、歪んだ愛の物語です。
「家族を愛しているからこそ、彼らをモノのように複製し、記憶をいじってでもそばに置きたい」というウィリアムの欲望は、多くの人が心の奥底に持つ「死への拒絶」を極端な形で見せてくれます。
断頭台からやり直す姫(ティアムーン)や、明日をも知れぬ少女たち(ブリュンヒルデ)、真理を追う料理人(フェルマー)たちと同様、この映画もまた「限られたリソースの中で、いかにして自分の望む世界を再構築するか」という執念の物語なのです。
映画『レプリカズ』の全体像を解説しました。キアヌがパンケーキを焼く微笑ましい家族シーンの裏に、末娘の存在を抹消したという戦慄の事実が隠されている……このコントラストをぜひ本編で味わってみてください。

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